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​秋葉町・前田町の歴史​(準備中)

明治期
 写真は1884(明治17)年頃の大字(おおあざ)秋葉の字別地番である。(大字:地区名称 字(あざ):集落呼称)

 当時は秋葉の世帯数20戸、人口110人・前田の世帯数22戸、人口101人であった。
 明治の町村合併により秋葉村は1889(明治22)年鎌倉郡中川村に、前山田村と後山田村は鎌倉郡川上村に併合され、1939(昭和14)年横浜市併合の際に中川村大字秋葉が秋葉町に、川上村大字前山田と大字後山田が前田町となった。

のどかな農村
 旧川上地区は鎌倉、横浜港に近く国道1号線、東海道線が走り平戸永谷川が並行して流れ柏尾川に合流している。小高い山々が連なり田畑が広がるのどかな農村が中心の村で、港横浜の汽笛を耳にしながら稲作し米を供出し炭焼き、牛、豚、鶏、養蚕などで生活をしていたそうです。

 

 平戸永谷川は堰止めをして川底が透けて見える程きれいな川でした。子供たちが遊ぶ所といえば小高い山々に囲まれた尾根や獣道と稲作の終わった切株のある田んぼの中を駆けずり周り汗をかくと川で泳ぐのが日々の楽しみとしていたそうで、学校帰りに鞄を放り投げて遊ぶ子供たちもいて、農村生活の中で農業を営む子供たちが遊んでいる仲間を羨ましそうにして家路を急ぐ子供たちが多くいたようだ。(学校では遊泳を禁止していたそうです。)


 夜にはタヌキやキツネが出没し東海道線路沿いには列車から投棄された残飯を漁りに山を下りてきていたようです。タヌキを捕獲し狸汁にして食していた時期もあったと聞いております。そんな農村部落にも蛍が舞い一日の疲労を癒してくれた。


ランプから電灯へ
秋葉地区には西歴1923年大正12年5月長年愛された石油ランプからいち早く電燈ともるようになった。前田地区も大正が終わる頃になると電力が入り薄暗いランプ生活から電燈がともる様になっていく。

関東大震災

 関東大震災で、この川上地区にも甚大な被害もあったが、しかし農業を営む家はドッシリとしっかりとした家屋で倒壊は少なく難を免れた様だ。
 秋葉では増井八幡社が一部倒壊したが、住民家屋の身代わりになって守ってくれたという説もある。前田でも倒壊した家屋は少なく、蓮久寺が倒壊したが、その春に萱葺き屋根を葺き替えが行われ余りにも厚く葺いて重みで倒壊したのではないかと囁かれている。東海道線レールが折れたり曲ったりで沈下がひどくあったが4日間で復旧運転可能とした。

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インフラ整備すすむ

 1928(昭和3)年中川村名瀬と秋葉の間に切通しの新道が開通し(名瀬道路)これは西暦1884(明治17)年からの懸案であり、 切通しにより牛馬車などの通行も楽になって、直接東海道に繋がり戸塚方面や横浜方面にも交通が便利になった。
 1935(昭和10)年には今ある秋葉第4公園附近に500坪程の敷地が千疋屋(銀座千疋屋)の誕生の地である。重油でボイラーを焚き温室でバナナやパイナップルを生産していたようだ。
 西暦1947年昭和22年には昭和の歌姫美空ひばり(当時9歳)を戸塚駅までリヤカーで迎えに行き夏の例大祭を(増井八幡社) 盛り上げたエピソードがある、「東京キッド」等を披露した。

 

宅地開発と企業誘致
 西暦1960年昭和35年市が誘致した大倉陶園の本社と工場が落成する。この地区には宮内庁御用達企業の創業家がお住まいの時期もあり、現在の「日鉄秋葉台団地」となっている所には東京文明堂の丘陵地帯のお屋敷であった。西暦1966年昭和41年頃に此の丘陵地帯の宅地造成により住宅地となった。
西暦1961年昭和36年秋葉無人踏切で衝突事故が1月(13日の金曜日)と8月に 相次いで起きた為秋葉無人踏切から自動遮断機付き踏切となった。

 西暦1962年昭和37年小糸工業が操業を開始。西暦1967年昭和42年から46年まで緑豊かな丘陵地帯に轟音を靡かせ秋葉、前田地区の大規模な宅地造成開発事業が始まる。付近の開発が進むにつれ行き場を失った大きな猪(100キロ)やキツネ、タヌキ等が出没してきたそうです。

 そんな矢先平戸永谷川沿いの田畑が工業地帯と変貌して多くの会社が操業する。西暦1972年昭和47年川上小学校が柏尾地区から移動されて活気ある川上地区と発展した。


 国道1号線から名瀬道路(道路愛称・昭和52年)を行き交うダンプカーや工事関係車両が多く走り昭和55年秋葉踏切が 閉鎖となり立体化され秋葉三叉路から平戸永谷川と東海道本線・国道1号線を従断し又1号線にUターンするという変形した約300メートルの陸橋が竣工し車の流れがスムーズになり生活の基盤となる足掛かりが完了した。

 やがて川上地区として秋葉、前田共に子育てにより良い環境を生み出す町として愛され親しまれていくさなか西暦1985年昭和60年横浜市で初の小学校、中学校の一貫校が開校となる。秋葉中学校では記念イベントで種を入れた風船を飛ばし其の種が千葉の老夫婦宅に落下したのをご縁に横浜に招待したという頬笑しいハプニングがあった。

 川上地区には秋葉と前田を挟んだ小高い山を残した秋葉台公園がある。見晴しが良く春には桜も美しい散歩コースになっている。テレビドラマの撮影にも使われる絶好のロケーションとして親しまれている。
平戸永谷川の遊歩道も整備されて川面にはカルガモや鷺が飛来して道行く人達を癒し楽しませ歓迎してくれる。

 現在は川沿いの工業地帯にあった会社が移転し再開発事業により大きく変遷して往く大型マンション、戸建て住宅が立ち並ぶ新たな歴史のスタートとなる。

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 川上地区では活発に様々活動を行っており西暦2013年平成25年12月「エコ」活動が広がりその成果が認められ「環境大臣賞」を受賞しています。歴史は浅いが地球温暖化防止に繋げる重要な活動です。西暦2010年平成22年川上地区にエコ活動委員会を立ち上げ、節電チャレンジ(環境家計簿)カーボンオフセット等の多分野に取り組を契機に、戸塚区役所の協力を得て川上連合・北海道下川町・横浜市戸塚区の三者で友好協定を締結する事ができ、環境分野でスタートした取り組みを青少年育成、都市と農業・林業分野との交流を展開しており子供たちに夢と希望を与える町づくりを戸塚区内各地域への普及途上です。 

 

 川上地区社会福祉協議会は西暦2016年平成28年,地域の福祉向上の活動、特に「中間支援組織の機能を発揮する『活動委員会』「住民力向上の一助を担う『福祉活動発表会』の開催」などが高く評価され、全国社会福祉協議会より表彰された。

 少子高齢化時代が囁かれる昨今幼児から高齢者まで、各町内会自治会共に窓口を広く開けて老若男女問わずご自身のご都合と体調に合った趣味を等生かし会員の皆様に参加して頂きご近燐同士が疎遠になることが無いように心豊かに安全安心して住み易い秋葉、前田の川上地区を誇りに思い次世代に残せる資料となればと想いを寄せている。 
               
各事業部のご案内
 社会福祉協議会・エコ活動委員会・防犯部・消防団部・交通部・保健活動推進委員・環境事業推進委員・婦人部・子供会・家庭防災委員・福祉部・親和会・民生児童委員・宮総代・青少年指導委員・消費生活推進委員等の事業部推進活動を行っております。

 地域の伝統を引き継ぎ想いを残すためにも各事業部に於いて会員皆様の参加をお待ちしていますので各町内会事務局までお問い合わせください。

2019年3月「川上の百年史」の草稿他による。

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